
二〇二六年〇六月〇九日(火)
今になって
詩のことが分かった
って思ったことが
どれだけあっただろう
今朝起き抜けのベッドで
間違いなく掴んだ感覚は
ずっと探していた
AirPodsの片割れのように
俺の心の空白を
心地よく満たした
巨人の長嶋監督が
ピュッとかバッとか
擬音で説明する野球について
ついぞ珍紛漢紛だったが
握りしめた詩の感覚も
ボワァとかヌル〜とか
だいぶそれに近い
詩は経験であり体験である
経験と体験の違いが
よく分からない
つまりすべてが感覚である
遠いところへ行きたいと
不意に思うことがある
では具体的にどこなのか
火星である
沖縄でもアラスカでもなく
小田原でも
ましてや冥王星でもない
火星の一択
いつか人類が
彼の地に降り立った時
無垢の地表に忽然とある
AirPodsの片割れに
驚嘆するだろう
二〇二六年〇六月〇九日(火)

これまで楽しかったことが楽しくなくなることがある。てか、それの連続。それを退化とは思っていなくて、刷新されている感覚。なくなってしまったら考えものだが、楽しいことは常に展開されていく。公園のベンチで日がなボケーっと座ってる老人とか意味わからなかったけど、いつかその境地に行くのかな。楽しいとかさえも感じてなさそうだけど、内面のことなんて他者から観測できるはずもなく。自分に嘘をつかない。他者を参照しない。考えるとか感じることそのものが喜びである。いつかそれさえもなくなるのだから。ゴウのモノマネ死ぬほど笑った。
これまで楽しかったことが楽しくなくなることがある。てか、それの連続。それを退化とは思っていなくて、刷新されている感覚。なくなってしまったら考えものだが、楽しいことは常に展開されていく。公園のベンチで日がなボケーっと座ってる老人とか意味わからなかったけど、いつかその境地に行くのかな。楽しいとかさえも感じてなさそうだけど、内面のことなんて他者から観測できるはずもなく。自分に嘘をつかない。他者を参照しない。考えるとか感じることそのものが喜びである。いつかそれさえもなくなるのだから。ゴウのモノマネ死ぬほど笑った。

1977年東京生まれ 詩人。