詩という言葉が曖昧なのだと
詩という言葉が曖昧なのだとセルマネロは止まったペンの先に意識を集中させて思ったのだけれど、視線は教壇の上の天井の隅の方に向かっていた。
視線の先の天井の辺りが雨漏りによるものなのか、染みた液体のようなものによって変色していて今までそのことに気付かなかった自分自身に嫌悪のようなものを感じて、その感覚が詩を通じて言葉になってしまうのだとしたら、それは詩ではないのではないのかと思ったことが詩そのものの存在と、それを表す文字として音としての「詩」に対する抵抗感に繋がっているのだった。
セルマネロは五年前から母親であるマルスミラーニョと二人暮らしをしていてただでさえ内向的な性格だったため、一人で考え事をすることが多かった。
考え事が多いということは、行動する前に立ち止る習性が強いということであって、五感から受け取った情報をどのように消化するのかという、いわばそれがセルマネロの個性であって、パトムやニックタックなどの行動派とは対照的で、それは年齢の差に因るものだけではないことはヨーテルマールが遠巻きに証明してた。
ヨーテルマールは配られた紙に絵を今だ描けずにいた。
セルマネロと遊んだ川辺での光景が記憶の中で光そのものだったから、白紙にインクを落とすことが光の景色から遠ざかるような気がしてならかった。
二〇〇九年〇四月一五日(水)
詩という言葉が曖昧なのだと
詩という言葉が曖昧なのだとセルマネロは止まったペンの先に意識を集中させて思ったのだけれど、視線は教壇の上の天井の隅の方に向かっていた。
視線の先の天井の辺りが雨漏りによるものなのか、染みた液体のようなものによって変色していて今までそのことに気付かなかった自分自身に嫌悪のようなものを感じて、その感覚が詩を通じて言葉になってしまうのだとしたら、それは詩ではないのではないのかと思ったことが詩そのものの存在と、それを表す文字として音としての「詩」に対する抵抗感に繋がっているのだった。
セルマネロは五年前から母親であるマルスミラーニョと二人暮らしをしていてただでさえ内向的な性格だったため、一人で考え事をすることが多かった。
考え事が多いということは、行動する前に立ち止る習性が強いということであって、五感から受け取った情報をどのように消化するのかという、いわばそれがセルマネロの個性であって、パトムやニックタックなどの行動派とは対照的で、それは年齢の差に因るものだけではないことはヨーテルマールが遠巻きに証明してた。
ヨーテルマールは配られた紙に絵を今だ描けずにいた。
セルマネロと遊んだ川辺での光景が記憶の中で光そのものだったから、白紙にインクを落とすことが光の景色から遠ざかるような気がしてならかった。
二〇〇九年〇四月一五日(水)