雨。雨なら雨で、雨の時間が流れる。この宿に置かれていた万年筆がずっと気になっていて、朝サウナの外気浴の時に触れた詩情を書き留めてみた。人間の個性の何割かは、その人がどの時間で生きているかってことだ。本来言語化とは程遠い感覚の話ではあるが、詩の中では「宇宙の時間」とざっくり表した。一枚目はインクのコントロールができず斑ができてしまうも、ペンの向きが違っていたようで、修正したら途中から覿面に書きやすくなった。そもそも俺が手書きに拘っているのは、インクが紙に染み込む感じが詩を捉えるのに適しているからであって、万年筆って、その部分を大きく残したペンなのだから相性悪いはずがない。その昔、なんとなく買って使ったこともあるけど、その時はよく分からなかった。面倒臭さだけが先立って、結局使わなくなった。けど色々変化した今、万年筆はありだと思う。持ち運びには適さないから、北海道に、落ち着いた場所を作れたら試してみよう。
あ、そうだ、昨夜見た夢で、俺は思いっきり何(娘)に嘘をついてしまった。しかも何にはバレているのに、他の人にシラを切るために何の前で嘘を突き通そうとした。その時の何の表情が悲痛で、思い出しただけでも胸が痛む。このことを反省にして、子供の前では嘘をつくのは絶対やめようと思うも、夢でついた嘘と、起きてる時につく嘘にさほど違いはなく、俺は子供に嘘をついた親だ。子供に立派な嘘をついた親だ。子供に嘘をついた立派な親だ。立派の位置で意味が変わる。立派の位置で立派に意味が変わる。
昼過ぎにチェックアウトをし、雨の中東京へ。昨日から、果のお迎え!って有希子が騒いでいたから、寄り道もせずなる早で。ヤスは有希子の舞台にも何度か参加しているので、家にいた有希子も交えてしばらく話し込んだ。何と果のお迎えにも付き合ってもらって、そこで解散。誕生日の夜の乾杯で「いつまでも、あなたらしく」って言われた言葉が蘇ってきた。