夕方、お迎えの時間がコーヘーと被って、西原家もワンオペだったらしくデニーズに行った。子供たちに告げると、すごく喜んでいて、確かに子供の頃って外食だけでもちょっと特別だったし、しかも友達の家族と一緒とかいうとスペシャルだった。俺は、大人にしては珍しくその感覚をまだ覚えてる方だと思う。とはいえ知識とか経験に阿らないでいることって難しい。物事の簡略化はそもそもの脳の機能だから、仕方のないことだし、最近ではそのことに争わないことも大事な気がしている。無気力っていうと言葉が良くないが、個人的な感覚を薄めて広げていくことって、生きやすさと死にやすさに繋がるから程よいラインを見つけたい。年齢とともに衰える肉体との関係がもたらすのか、放っておいても良いところに落ち着くんだとも大きくは考えている。あ、ちなみに「死にやすさ」ってのは「すぐ死ぬ」ってことではなくて、「死を受け入れる」っていう良い意味での死の話。