今日は東京へ帰る。つまり移動日だ。遠路の移動は、飛行機とか新幹線とか大きな動かせない予定があって、そのことが一日のイメージの大半を占める。決められた時間に決められら場所に行くことが苦手で、移動日にはなんともいえない緊張感がある。「明日は12時の飛行機です」とか前日にアナウンスがあっても、なんとなく「12時に家でればいいのか」とか、ひどい時は「12時に起きればいいのか」と、勝手に解釈をしてしまうことがあり、そんな時は決まっててんやわんやする(そりゃそうだ)。予約した交通手段に乗れなかった時の絶望と自己嫌悪ははかり知れず、なんとかしたいけどどうにもならない。けど皮肉なもので、世の中の大きな流れの外に立つと正しい視座から詩が生まれたりする。仮に飛行機に乗れなくても詩が書けることの方を優位にしているせいか、無意識にインプットがねじ曲がってしまうのかもしらん。けど、そんなことはただの言い訳にしか響かないし、心配かけたり他人の仕事を増やしてしまうことに嫌気がさすことは事実だ。今日はタップと一緒だったから底知れぬ安心感があった。タップは付き合いも古いこともあり俺の性質を大きく理解しているからか、アナウンスが簡潔だ。「何時に何処にいてくだい」という変換のしようがないメッセージだと、その通りに動ける。つまり子供に買い物頼む時と同じだと、書きながら気づいた。「コンビニで卵と牛乳をレジに持っていってこれ(五百円玉)渡して、真っ直ぐ帰ってきて」みたいなこと。うん、確かに分かりやすい。