朝からレコーディングだった。あ、夕方からか。というのも今日は歌入れの日で、ヴォーカルは楽器の性質上そんな早くやることはない。非効率ゆえ。なので日中は新曲の歌詞を家で書いていた。歌詞を書くとかってこうして考えると、本当に何をしてるんだろう俺? って疑念がよぎるのだけど、というのも二歳になる娘と会話をしていてそれが自然と歌になることがよくある。何(娘)はまだ語彙が少ないから、会話が反復のやりとりになることが多く、例えば「もう離さない(俺)」「離さなくなーい(何)」「離さなーい」「離さなくなーい」みたいなことをどっちかが挫けるまでやるわけで、反復はいつしかメロディックになっていくそれはもはや歌だ。要するに歌を作るということ自体が、言ってしまえばとても幼稚な行為で、10代の頃は過不足なくそれが自然と行えていた自覚もあり(実際、今日と同じ直太朗としていたわけだし)なんの疑いも要らなかった。けど今、俺も奴も40代で、今日の今日、新曲に歌詞を付けてるって、やってることに誇りも面白みも感じてはいるものの、もっと他にやることあるだろ? って、思わないことは全くない。ただ、気づけば、この新しくできる曲で、この先、たくさんのスタッフやオーディエンスに関わりがあるのかと思うと適当なことはやれなくて、それはそんな大義とかいうレベルのことではなく、なんというか、それもまた子供っぽいのだが、意地だ。それはまぁ良いとして、なぜこんなに俺が今、饒舌なのかと言えば、良い歌詞が書けたからに他ならなくて、じゃ、良い歌詞ってなに? っていうと、わかりやすく言えば楽器が良く聴こえる歌を導く文言だ。俺はただそれを選んだってことで、実際、まだ工程が残っている以上、仮定でしかないのだれけど、経験則でなんとなく分かる。で、今日は、それよりも大事なことがあって、今日書いた歌詞とは別の歌入れで、直太朗がとても良い歌唱をしたということ。今日の歌は、これまたややこしくなるけどそのまま書くと、10年くらい前にある種の熱に浮かされて書いたもので、曲自体は当時からほぼ今のままあって、でも、なんとなく歌やそれに伴う体制的な足並みが揃わず、ずっと放置されていた。時を経て、良いアレンジがつき、直太朗が歌った。その歌には、退屈を許す大らかさがあって、俺は嬉しかった。歌詞の根っこにある部分が、歌によって照射されたような、けど、その部分は決して表現として相を持たせたいわけではなくて、ただ、創作の拠り所というか、気付きのようなもので、10年前の自分が気づけなかった感情に気付かされた気がした。実際、当時台湾で泣きながら書いた歌詞なんだけど、その時、涙の理由は分からなかった。20年以上直太朗となんらかの物作りをしているけれど、なんというか、明らかに一段上がった気がした。まぁ、思いこみや錯覚は付きものだし、なんの確証もないけど、やっててよかった、つまり、生きててよかったと思えるのだから、それ以上のことは、俺の人生観で存在することはない。ぎり今日のうちに終わって、家族はもう寝ている頃なので、雀荘へ向かった。