いつか、そんなタイトルの詩を書いた。その頃俺は逗子に住んでいて、結構リアルな感じと事実を書いた。なぜか今日、その言葉だけが浮かんできて、反芻したりした。気がつけばもう44歳になっていて、数字だけ見ると意味がわからないくらいおじさんになった。それでも感覚だけは10代の頃から地続きで、おじさんとか大人とかって、多分、どこか別のフォルダにあるものじゃないんじゃないかと薄々感じ出している。感覚を遮蔽したり、感性に蓋をしたりしたら、あっさり辿り着けるんだろうけど、そんな生き方に興味がないし、そんなスキル身につかないんだろうと思う。5歳になる娘にもあっさり変な人と括られる日も来るだろうし、来なきゃこないでいいし、そのことに特段興味もない。所用で行った高井戸のなんの意味もない路地裏に見惚れていて、ただ時間だけが過ぎていった。なんとなく煙草は減らそうと思った。携帯も買い換えよう。Apple IDが乗っ取られたまま二ヶ月くらい経つだろうか。なににも縛られず、なににも迷惑をかけない、そんな生き方がきっとどこかにある。