この春に開校した大東中学校の校歌の作詞をした流れで、そこの生徒たちが修学旅行の中の課題みたいのでそれぞれ東京で縁のある場所へ赴き社会科見学をするという企画の一つが御徒町(地名じゃなくて)を訪ねるということになったらしく、朝から校長含む数名がセツナへやってきた。一応インタビューみたいのも用意してくれていて、歌詞の中にある棚田について「棚田を見てどう思ったか?」と訊かれ「棚田だなぁと思った」と答えた。歌詞に3番をつけて、地元にできる道の駅で流してもらう交渉をしてもいいかという質問には「詩や歌は誰のものでもないから好きにやればいい」と伝えた。開校式の時に「勘違いしてください」って、時間が足りない中で言ったことの真意を少し噛み砕いて話したけど、結局開校式の時みたいにうまくは伝えられなかったかもしれない。あの時は時間がなくて言葉足らずだっけど、今日は喋りすぎて熱量が空回りした感。社会的な言語で人に物を伝えるのあんまり得意じゃないんだな。詩の言葉はそもそも役割が違うから、詩を書いてる時の方が人と繋がれてる感じがする。や、これは感じじゃないくて事実だ。だけど詩の言語だけじゃ社会は回らない。中学生ってさなぎの中で蠢いてるみたい。御徒町探訪が変な養分にならないことを祈る。不格好でも自由に空を飛べる蝶がかっこいい。