結構早めに目覚めて、昨日書き出しだけできたポエトリーカラス15の続きを書いた(1回目から回数をタイトルにしてる)。なんだかんだ朝は詩が書きやすい。朝と言っても自然に目覚めた状態に限る。目覚ましで起こされてもそうはいかない。だから逆算して前日は早く寝る。夜は、自分次第で時間を作れるから精神的には安心できるけど、書けたと思っても書けてないことが多い。って、今言ってる気づき、明確に言語化できるようになったのってここ数ヶ月の話。本当は今日、イメージだけずっとある詩を後二つ書きたかった。だけど追いかけても無理そうだったからやめて、ここ最近色んなノートとかに書いてた詩をまとめた。書いた詩をまとめる作業が本当に苦手で、なんでか? ってくらい億劫だ。でも、読む時に自分の書いた文字が読めないことが多く困るから、書いた時のフィールに体感を戻して、同じ道を辿る。そうすると字が読める。しかもちょっとだけ客観的に。書いた時の自分に遠慮がなくなるくらいシンクロできてたら書き直したりもする。(初めに)書くときはとにかく勢いを大切にする。色んな邪念を振り解くっていうか、邪念さえも受け入れて、つまりまぁ信じて書く。書いて、ガッカリすることも多いけどそのガッカリも受け入れる。それを詩と認めるかどうかは自分次第。そう思うと、以前より書く量は格段に減った。その分没になることはあまりなくなった。洗練じゃん、それ。老練っていうのかな。老いるって、色んなことのトレードオフだなって最近思う。年取って嫌になること多い(体がダルいとか)のに、楽になることも多く、なんだかんだ今が一番楽しい。そんなこんなしてたらいい時間になって、今日来ることになってるナホを呼び出して二人でリハをした。最近はよくギターを弾いてる。絵とギターを行ったり来たりしながらずっと詩を探してる。あと、人と会ってエネルギーの交換。できるだけ変な気は吸いたくないけど、そこは出会いというか一期一会を優先させる。行動や出会いに選好を入れちゃうと詩が狭くなる。良い詩になるかもしれないが、それは良い詩じゃない。美術館で見るような詩だ。そこら辺の壁に描かれるような詩の方が俺は好きだし、かわいい。ナホとやろう言ってるバンドの今んとこの唯一のメンバーのハセくんも来てくれて、入り前の時間上原で少し飲んだ。3年ぶりのポエトリーカラスには色んな人達が遊びに来てくれた。アフターパーティーではヒロユキと衣が初めてのリーディングをしてくれた。二人ともやりたくなさそうだったけど、詩を書いたんならやった方がいいと思った。強要は絶対しないけど、読む方が自然だと思った。終電で帰るって言ってたハセくんも結局最後まで残ってくれて、ナホと3人で始発まで過ごした。真夜中の富士そばで食券買ってるとき、初めてバンドになれたと思った。まだ、なんもしてないけど。