直太朗のデビュー二十周年ツアー「素晴らしい世界」100本目の千秋楽公演がNHKホールであった。千秋楽が秋にあるのっていいなって今になって思う。矛盾がない。今日は有希子がとあるダンス公演を観に行くとのことで、子供を見る日だった。果は日中ゆうくん家に行っていて何と二人で過ごした。何はけっこう小さい頃からテレビの「逃走中」が何故か好きで、今日は近所の公園でおそらく渋谷区の企画でハンターが来るとのことで連れて行かされた。行ってみたらまだ早くてハンターたちが準備をしていたから近くのラーメン屋でお昼にした。カウンターで並んで同じ時間を過ごせるようになると子供の成長をすごく感じる。キョウタさんのお店に顔を出したりしてたら時間になっていて公園に戻ると子供たちがわんさかいた。逃走中が好きなのは何だけの話ではなかった模様。夜のライブでは、ダブルアンコールで「最悪な春」の朗読をした。詩の朗読は基本、暗唱することはないけど今日は手ぶらで臨んだ。目を閉じた方が読みやすいけど、目は閉じないようにした。けっこう口が乾いて、噛みそうだったからできるだけ丁寧に読んだ。すごくいい経験だった。なにも見ないで読むって、これまで殊更意味を考えたことなかったけど、身体性について考えさせられた。思えば二十年近く朗読をしていて、今日という状況がけっこう色んな意味で高まっていたから、あらゆることを置き去りにできたんだと思う。これちょっと分かりづらい表現だな。結局シンプルにならざるをえない状況。無駄なことを受け付けないというか、シンプルに詩とだけ向き合わなければならなくなる。それって願ったりで、詩そのもの話になる。詩がお守り。ずっとやってきたことじゃんって話。よく直太朗が「御徒町の詩は〜」って言っているのを聞いていたけど、そのことの真意を初めて理解できた気がした。直太朗はおそらく俺の詩を一番理解している。っていうか、体で感じてる。「最悪な春」のリリース時は安藤サクラちゃんが朗読をしてくれた。今回改めて聞きなおした。みんなすごいんだな。今日の雑記はなかなか書けなかった。やっぱり俺は詩が合う。散文的な言葉は感傷が入り込みやすい。たぶん詩ならスラッと書けた。いや、詩も書けなかっただろうな。やっぱ詩の方が大変だ。今日は総じて時間が止まって見えた。久しぶりに会う人たちにもけっこう会えた。みんな生きてた。詩を書いてきてよかった。ほら思ってもないような言葉が結ぼうとする。