ホロシリ牧場にて朝からバンバンと乗馬。なんと、コパノリチャードに乗せてもらう。G1馬(元だけど)に乗馬できる所なんて、ここ以外にあるのだろうか。anywayそれからディマシオ美術館へ。この美術館に関してはいつかまた改めて書こう。お昼に蕎麦を食べて、千歳までバンバンを送る。給油のついでに寄ったアウトレットで靴を買い、日高道を直走る。温泉が先か夕飯が先かを判断するために駐車したコンビニで携帯を開いたら、先日の開校式のニュース動画がタップから送られてきていて、Twitterにアップした。
今こうして雑記を書きながらふと思ったことがあって、それは書くという行為について。一冊の本になるような文言のようで、そんな大袈裟なことではなく、何をどこまでこの雑記に書くべきなのかという、至ってシンプルな話だ。結局、書くこと(もちろん喋ることもそう)って、選択の話でしかなくて、雑記は、そもそも俺の個人的な忘備録としていつか振り返る必要が迫られた時にただ思い出す捨て書きのようなイメージで始めたから、基本的に読み手(自分以外)のことは考えないようにしようと思っていた、ざっくりと。ただ一年半程のブランクを経たことで、なんとなくその趣旨がブレてしまった事を、先の日高道を直走ってたくらいの夕暮れに感じた。それは、一昨日からTwitterに「雑記再開しました」とポストしたことにも表れていて、いつの間にか外向きになっとるやん若干文体も含め、ということ。この中断期に意識的に書くことから遠ざかっていたこともあって、つまり、今俺は単純に自分の文体を忘れているのだなと、本当の今、ジャストナウ、自覚している。
そもそもが怠惰なのでそうならないように若干意識高めとも取れる俺は、再開した雑記は基本毎日書かないとまたサボってしまいそうで、できるだけ毎日、結局、書くことなんて無限にあるのだから、これは、時間の使い方の話で解決することは薄々分かっている。
さて、Mリーグの追っかけ再生が途中だから、それを見て、今夜は寝よう。眠るよりも楽しい時間と翌朝の後悔の天秤の勝敗に未だに決着を付けられないのか付けない俺と、書いている、と書くことで逃げ場をなくしている、つまり告白に近い今日の雑記。