世界は謎だらけだと風呂上がりに娘が言った。どうして?と尋ねると「私たちが使ってる言葉だって、本当はなんの意味もないんだよ」と言う。「そもそもパパだって生まれてなかったかもしれない」と。「そうしたら何(娘)だって生まれてない」。つまり、この世界の成り立ちについて思いっきり疑問を抱いて立ち止まっているよう。しかも謎を解決すると、また新しい謎が生まれ、それは果てしなく続きそうだと。しばらくふざけ基調で返答していると「よく大丈夫だね」というようなことを呆れ気味に言われたから「パパもずーっと子供の頃から考えてるよ」と少し真面目に答えた。で、続けた「けどこれで安心だ」「どうして?」「だってこれからずっと何(娘)と話せるじゃん」「それもそうだね」「一人で考えてるとたまに怖くなるからさ」「そっか」みたいな会話をした。「やっぱり何はパパの子だね」とも言われた。ちなみに学校からの一人の帰り道は、そんなことを考えがちらしい。そこもまさしく我が子なのだが、一般的によくあることのような気もする。俺が小学二年生の頃は迷路作りに熱中していた。謎だらけの世界のどこに線を引いて過ごすのかってことを「生き方」と呼ぶんだろう。「生き方」って言葉もいつか誰かがそう言おうって決めただけのことだと、何に言われそう。