三十分ほど前に五月になった。五月は俺の生まれ月で、程なくして俺は四十歳になる。今、池尻のスタジオにいて、珈琲を飲みながらこの雑記を書いている。隣で圭(河野)さんがドラムのディレクションをしている。新しい曲が目の前で形になりつつある。慌ただしく過ぎていく日々は川のようだ。俺はその川べりに座ってたまに石を投げ込んだりしている。俺の投げた石は水面に小さな波紋を形作るが、それは容易に川の流れに馴染んでしまう。
年明けから始まった直太朗の長いツアーも、先日折り返しを迎え、秋にある舞台の発表もされた。最近では物作りに対するイメージが変わってきた。何か創作物が成される時、それはもうあらかじめ決まっていたことに向かって時間が流れていくのだ。そこに作り手の意思はない。作り手は意思を手放し、流れを見つめる。やれることがあるとすれば、座り場所を心地よく設えるくらいのことだろうか。と、そんな感じに。
大きく括れば、これはなんらかの比喩なのだが、その比喩は決して何をも捉えていない。