人生の目標、目的みたいなことを流れで有希子と話した。大きくは有希子からの話で俺は聞く側だったけど、ちょうど今日か昨日、自転車に乗っている時そんなことを考えていた。詩のことから派生した気もするが、いつもそんなことばかり考えてる。根本的に詩は目的ではない。詩が書きたいって、大元でそんなこと考えてたらちょっと気持ち悪い。あくまで書いたから書いたのであって、書きたいから書いたわけではない。不思議なもので、同じことを繰り返してるうちに人は思考をやめてしまう。脳の機能として省エネは必須らしいので仕方ないのかもしれないが、こと表現に於いて思考を手放してしまったものは、けっこう扱いが難しい。クリエイティブってなんだか持て囃される傾向にあるけど、それは本当のクリエイティブならその通りだけど、ほとんどが大したものじゃない。せめてクリエイターがそのことを自覚していれば良いが、無自覚なものも多く、そういうものも決して害悪ではないから距離を取るのが好ましい。で、俺は「やりたくないことをやらない」ってことをものすごく徹底してきた(正確にはできない)。これが人生の目標。そんな、シンプルだけど偏屈な性向の人間に、詩が合っていただけなんじゃないかって踏切待ちで思った。やりたくないことのレベルにもよるから、流されてるようにしか見えないとは思うとも思っている。てことで、この話はそこまで共感を得なかったけど、ちょっと掘り下げてもいいかと思った。あ、別にそんなに思ってない。やりたくないことをしないってことがしたい。